大分県のお土産といえば、『南蛮菓ザビエル』が定番です。しかし、このザビエルには金と銀、2つのバージョンがあることをご存じでしょうか?
大分名物には"南蛮"とついたものが多いのをご覧になったことはありますか?
- 南蛮料理
- 南蛮菓子
- 南蛮漬
"南蛮"という言葉には、長くて複雑な歴史が深く刻まれています。
古代中国の視点から見ると、これは中華思想に基づいた視点でした。中国自体を中心と捉え、周囲を囲む他国を北狄、東夷、南蛮、西戎と四方向から呼び分けました。
1. 北狄:「狄」は古代中国で「未開の民族」を意味する言葉で、これが北方に住む異民族を指して「北狄」と呼びました。一般的には、北方のステップ地帯に住む遊牧民族(例えば匈奴など)を指しました。
2. 東夷:「夷」もまた「未開の民族」を意味し、「東夷」は東方に住む異民族を指します。これには、現在の韓国や日本の人々が含まれることが多かったです。
3. 南蛮:「蛮」も「未開の民族」を指す言葉で、「南蛮」は南方に住む異民族を指します。これは主に、現在のベトナムやラオスなど東南アジア方面の人々を指しました。また、後に日本ではポルトガルやスペインなどから来た西洋人を指す言葉としても使われました。
4. 西戎:「戎」は戦車に乗るという意味で、古代には戦闘民族や遊牧民を指す言葉として用いられました。そのため、「西戎」は西方に住む戦闘的な異民族を指し、特に中央アジアの遊牧民族を指すことが多かったです。
この中で、日本は「東夷」と称され、これは東方の未開人という意味を込めていました。
中国の歴史書、「後漢書東夷伝」には、後漢時代に東方に住む人々、それは我々の祖先について詳細に記述がされています。これには、日本の古代史を象徴する「漢委奴国王」の金印についての言及もあります。
それでは、「南蛮人」が何を指すのか見てみましょう。
南蛮人という言葉は、直訳すると南方から来た人々を指していました。日本の戦国時代、南方の異国人が日本に訪れると、日本人は彼らを南蛮人と称したのです。この事実は、日本人が彼らを「他者」として認識していたことを示しています。
しかし、彼らがもたらした文化や技術は、当時の日本人が有していたものを遙かに上回っていました。さらに彼らは、美味しいお菓子の作り方までも教えてくれたのです。そのため、時が経つにつれて、「南蛮」という言葉は日本で賞賛の意味を持つように変化しました。
この話題と密接に関連しているのが、日本に宣教師として訪れ、特に大分に深い関連性を持つフランシスコ・ザビエルです。彼は、当時豊後国(現在の大分県)を治めていた大友宗麟の庇護のもとで、布教活動を展開しました。
さて「南蛮菓 ザビエル」の話に戻ります。大分を代表するお土産であるこの菓子には、なんと金と銀の2つのバージョンがあるのです。これは大分の地元の人々でさえ知らない情報かもしれません。
以下の写真をご覧ください。ラベル上の「南蛮菓」と「ザビエル」の間のラインの色が金と銀で違うことに気がつくでしょうか? これらの違いを体験する最高の方法は、両方を試食し、自分自身で味わうことです。
大分の豊かな歴史と文化、そしてその中で進化し続ける"南蛮"の世界を、ぜひ一口に閉じ込められた南蛮菓ザビエルで体験してみてください。