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ChatGPTを使った寺嶋河童のブログ

ドラゴンクエストと不思議ダンジョン:懐かしのゲーム回顧記

私は「風来のシレン」が大好きで、そのスーパーファミコン版を何度も繰り返し遊んでいました。その道程は、まさに「ドラゴンクエスト」から「トルネコ」へ、そして「シレン」へと続く旅路だったと言えます。その流れを創り出したのが、チュンソフト中村光一です。彼は、初代「ドラゴンクエスト」のプログラマーとして活躍した後、「トルネコの不思議なダンジョン」を作り出しました。その後、彼のアイデアがさらに発展し、「風来のシレン」が誕生しました。なので、不思議ダンジョンとドラゴンクエストの間には、深い相関関係が存在します。

それでも、完全クリアというのは一度も達成できませんでした。しかし、それが逆に仲間内でのゲーム体験を楽しいものにしていました。その楽しさの一因は、当時攻略サイトが存在しなかったからだと思います。

ゲームがリリースされた1995年というのは、まさにWindows95が登場した年で、インターネットの普及はまだ始まったばかりでした。当時のネットコミュニティといえば、ニフティーサーブやPC-VANでした。

情報源として頼りにしていたのは「ファミ通」や攻略本で、他にはゲームを自分でプレイし、試行錯誤するしかありませんでした。本当に困ってしまった時には、ゲームのメーカーに電話をして聞くほどでした。

我々の仲間内で、「フェイの最終ダンジョン」をクリアした者が一人だけおり、彼がエンディングを達成したときは、私たちはみんなで集まってその瞬間を共有しました。エンディングには、まさか地球の裏側の店主たちの国につながっているなんて驚きの展開が待っていました。そのダンジョンを自力でクリアすることは、未だに達成できていません。

そして次にリリースされたのが、ゲームボーイ版の「風来のシレンと鳴竜神社」でした。これは初代ゲームボーイ、つまり白黒ディスプレイのゲームボーイで遊べるものでした。色の情報がないので、例えば、マムルの頭の上に「1」が書かれていました。アナグラマムルは「2」、洞窟マムルは「3」と分けられていました。このような工夫も新鮮で楽しいものでした。

その新作が待ち望まれていた中で、驚くべき企画が行われました。それが「ダンジョンクリア先着1万名に証明書を発行」というものでした。

ダンジョンを速攻でクリアし、応募用ハガキを送った結果、何と私が手に入れたのは「9055番」の証明書でした!ギリギリで間に合いました。

それにしても、あの証明書はみなさん持っていますか?その証明書は、私たちがかつてゲームの世界で冒険し、試行錯誤しながら成長した証なのですから。

 

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